開学と黎明期 明治7(1874)年~明治22(1889)年
明治7(1874)年 | 明治8(1875)年 | 明治9(1876)年 | 明治10(1877)年 |
明治11(1878)年 | 明治12(1879)年 | 明治13(1880)年 | 明治14(1881)年 |
明治15(1882)年 | 明治16(1883)年 | 明治17(1884)年 | 明治18(1885)年 |
明治19(1886)年 | 明治20(1887)年 | 明治21(1888)年 | 明治22(1889)年 |
・・・この年の出来事 ・・・この年の卒業生数
明治7(1874)年
民撰議院設立建白書提出、佐賀の乱、台湾出兵
月日 | 本校 | 附属校園 |
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1月4日 | 文部少輔田中不二麿、女子師範学校設立の建議書を太政大臣宛に提出。 | |
1月20日 | 女子師範学校設立の建議書認可。 | |
3月13日 | 文部卿木戸孝允、東京に官立の女子師範学校設立を布達。 | |
4月14日 | 小杉恒太郎、女子師範学校長兼務を命ぜられる(~明治8年11月)。 |
明治8(1875)年
大阪会議、新聞紙条例・讒謗律・出版条例公布、屯田兵駅逓寮預金(郵便貯金)開始
月日 | 本校 | 附属校園 |
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2月2日 | 皇后、御内庫金五千円下賜。 | |
7月7日 | 文部大輔田中不二麿、太政大臣三条実美に宛て幼稚園開設の儀の伺いを立てる。 | |
7月29日 | 女子師範学校の学科十七科目制定。 | |
8月9日 | 校舎完成、二階は寄宿舎。 | |
8月13日 | 官立女子師範学校生徒入学心得書制定(明治11年3月18日廃止)。 | |
8月15日 | 東京女子師範学校教則制定。 | |
8月20日 | 生徒百名を限って入学を許可することとする。 | |
8月25日 | 文部省より太政大臣宛、幼稚園開設について再応伺を提出。(9月13日認可。) | |
9月15日 | 文部省、附属幼稚園開設を布達。 | |
10月20日 | 入学試験実施(~10月27日) | |
11月18日 | 中村正直、摂理となる(~明治13年6月)。 | |
11月29日 | 開校式挙行、皇后行啓。 | |
12月20日 | 御歌「みがかずば」を皇后より下賜(明治11年10月校歌となる)。 |
明治9(1876)年
天皇東北行幸、地租改正反対一揆、廃刀令、神風連の乱・秋月の乱・萩の乱
月日 | 本校 | 附属校園 |
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4月2日 | 自費通学生制度認可。 | |
9月25日 | 皇后行啓。 | |
11月16日 | 東京女子師範学校附属幼稚園開園(保育開園)。 |
明治10(1877)年
西南戦争、第1回内国勧業博覧会
月日 | 本校 | 附属校園 |
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2月1日 | 東京女子師範学校に附属小学校を設置(明治11年9月20日授業開始)。 | |
2月19日 | 東京女学校廃止。東京女子師範学校に英文科を置き、旧東京女学校の生徒を収容。 | |
5月31日 | 修業年限を三年半に短縮し、目的を「小学ノ師範タルベキ女子ヲ養成スル」ことに改める。 | |
6月29日 | 自費通学生を別科生と改称。 | |
7月13日 | 別科を予科と改称。 | |
11月27日 | 附属幼稚園開園式挙行。皇太后・皇后行啓。 |
明治11(1878)年
大久保利通暗殺、竹橋騒動、軍人訓戒
月日 | 本校 | 附属校園 |
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1月 | 英文科を別科と改称したが、学年末(7月)に廃止し、その生徒を本校予科に編入。 | |
6月27日 | 保姆練習科設置(明治13年7月廃止)。 | |
7月2日 | 附属小学校を附属練習小学校と改称。 | |
10月31日 | 保姆練習科に給費生を置く。 |
明治12(1879)年
琉球藩廃止・沖縄県設置、東京招魂社を靖国神社と改称
学制廃止、教育令公布。
2月:小学師範科15名 7月:小学師範科18名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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3月13日 | 第一回卒業証書授与式挙行。皇后行啓。 | |
3月24日 | 予科を廃止し、その生徒を私立の女子師範予備学校に移す(明治13年7月予科再設、生徒も復校)。 | |
7月 | 第二回卒業証書授与式挙行、米国のグラント前大統領臨場。 | |
7月 | 修業年限を半年短縮、三年とする。 |
明治13(1880)年
全国に国会開設運動、工場払下概則制定、現行の「君が代」成立、教育令改正公布
2月:小学師範科19名 7月:小学師範科15名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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6月7日 | 福羽美静、本校摂理となる(~明治14年7月)。 | |
7月 | 保姆練習科を廃止し、幼児保育法を本科の課程に加え、予科を再設。 |
明治14(1881)年
天皇東北・北海道巡幸、明治14年の政変、自由党結成
師範学校教則大綱制定。
2月:小学師範科17名 7月:小学師範科16名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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2月12日 | 礼場教場竣工に際し、皇后より教場用として酒井抱一筆三幅対画幅を下賜。 | |
4月 | 附属練習小学校を附属小学校と改称。 | |
6月15日 | 文部省所轄学校職員の名称を改めて、校長・教諭・助教諭・訓導および書記とし、摂理・訓導・助訓導の旧職名を廃止。別に御用掛を置く。保姆の名称は明治14年中に廃止。 | |
7月6日 | 那珂通世、校長に任ぜられる(~明治18年8月)。 |
明治15(1882)年
軍人勅諭、日本銀行設立、馬車鉄道開通、銀座に電灯点灯、上野に博物館・動物園開設
2月:小学師範科11名 【1】 【2】 7月:小学師範科7名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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7月10日 | 予科を廃止し、附属高等女学校を設置(修業年限五年、わが国最初の高等女学校、9月授業開始)。附属小学校を附属女児小学校と改称。 |
明治16(1883)年
鹿鳴館開館、官報創刊
2月:小学師範科12名【1】 【2】 7月:小学師範科12名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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8月 | 本科の修業年限を一年延長して四年とする。 | |
10月 | 寄宿舎二棟および食堂・台所完成。 |
明治17(1884)年
群馬事件・加波山事件・秩父事件
2月:小学師範科14名 7月:小学師範科13名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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2月 | 附属幼稚園の目的を改める(本科生に幼稚園保育法を実地に練習させ、兼ねて幼稚園の模範を示すためのものとする)。 |
明治18(1885)年
内閣制度確立、松方デフレ深刻化、ハワイ官約移民開始
2月:小学師範科11名 7月:小学師範科15名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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8月26日 | 東京女子師範学校は東京師範学校に合併され(校長高嶺秀夫(~明治19年3月))、東京師範学校女子部となる。森有礼、東京師範学校監督となる。 | 附属校園は東京師範学校附属となる。 |
明治19(1886)年
英船ノルマントン号沈没 帝国大学令公布、東京大学を帝国大学と改称。宮川保全・那珂通世ら、共立女子職業学校設立。
師範学校令・中学校令・小学校令公布。高等師範学校・高等中学校・東京商業学校官制公布。尋常師範学校・尋常中学校及高等女学校教員免許規則制定。
2月:小学師範科16名 7月:小学師範科10名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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2月18日 | 附属高等女学校を文部大臣官房所属とし、高等女学校と改称する。 | |
3月6日 | 山川浩、東京師範学校長を命ぜられる。 | |
4月29日 | 師範学校令施行により、東京師範学校は高等師範学校となり、本校はその女子部となる。山川浩、高等師範学校長を命ぜられる。 | 附属校園は高等師範学校の附属となる。 |
5月18日 | 天皇行幸。 | |
5月29日 | 皇太后・皇后行啓。 | |
6月19日 | 高等女学校を東京高等女学校と改称。 | |
8月18日 | 生徒の服装を洋服に改める(10月1日実施)。 | |
9月 | 東京高等女学校規則制定。 | |
10月14日 | 高等師範学校ノ学科及其程度・高等師範学校生徒募集規則・高等師範学校卒業生服務規則制定。これによって本校の規則を改正。 | |
10月 | 高等師範学校、学年を4月1日から翌年3月31日までとする(4月に始まる学年制をはじめて採用)。 | |
10月 | 高等師範学校、分科制を採用し、修業年限を三年としたが、女子部はまだ分科制を採用せず、修業年限は四年。 |
明治20(1887)年
大同団結運動、三大事件建白書、日本赤十字社発足
4月:小学師範科16名
月日 | 本校 | 附属校園 |
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10月4日 | 東京高等女学校、文部省直轄学校となる。 | |
11月 | 奉職義務規定・学科課程表改定。 |