2015年の創立140周年を迎えるにあたり、本学で所蔵する貴重資料や、教育者・研究者輩出の歴史と今後の方向性についてご紹介しました。
開催時の案内はこちら ⇒ 2015年企画展示
明治8(1875)年11月29日、開校式が行われ、この日が現在の創立記念日となりました。のちに皇后(昭憲皇太后)御歌「みがかずば」が下賜されています。
明治18(1885)年に東京師範学校と合併し、その女子部となりましたが、明治23(1890)年に女子高等師範学校として分離独立します。
明治41(1908)年に東京女子高等師範学校と改称し、戦後の教育改革まで「女高師」の名で親しまれました。地名を冠したのは、同年奈良にも女子高等師範学校が設置され、東西の女子教育機関を区別するためでした。
大正12(1923)年、関東大震災により校舎が焼失します。昭和7(1932)年から現在の大塚校舎への移転が始まり、昭和11(1936)年に完了しました。その後、太平洋戦争の終了まで長く続く困難な社会情勢下にあっても、本学の研究と教育は続けられました。
昭和23(1948)年に新制国立大学実施要項が定められると、翌年、他の国立大学設置とともに、東西に国立女子大学が設置されました。大学への昇格に際しては、伝統を引き継ぐために、開校の地にちなんで「お茶の水女子大学」と命名されました。昭和25(1950)年、家政学部(現生活科学部)、理学部、文教育学部の三学部制となり、昭和28(1953)年、大学院の前身となる専攻科が設置されます。
新制大学発足直後から、大学院設置に向けた運動が始められます。
運動が実り、昭和38(1963)年に家政学研究科、翌年理学研究科、昭和41(1966)年に人文科学研究科が設置され、修士課程が整備されます。
博士課程は、昭和51(1976)年の比較文化学専攻と人間発達学専攻からなる、人間文化研究科の設置に始まります。昭和56(1981)年には、本学から初めての課程博士(3名)が誕生しました。
女性の社会的活躍が期待される現在において、本学は、研究界・教育界のみならず、多種多様な業界の指導的立場で活躍する優れた女性を送り出しています。
研究機関としては、女性の活躍そのものを研究対象として、効果的に促進させることも必要です。そこで、新たに「グローバル女性リーダー育成研究機構」を開設することとなりました。国際的な女性リーダーシップ研究の拠点となり、真に豊かな社会の構築に貢献することを目指しています。
本学には、日本初の女性博士・保井コノ(昭和2(1927)年、理学博士)を始め、自然科学系では日本初の女子大学生となった黒田チカ(昭和3(1928)年、理学博士)、人文科学系では、関根慶子(昭和37(1962)年、文学博士)を始めとする優れた人材を輩出してきました。
昭和42(1967)年に大学資料室が設置されます。のちに女性文化資料館(S50(1975))となり、女性文化研究センター(S61(1986))、ジェンダー研究センター(H8(1996))に発展し、国際的にも広く知られています。特色あるコレクションとして本学出身の「女性科学者資料」があり、保井コノ、黒田チカ、辻村みちよ(女性初の農学博士)、湯浅年子(国際的に活躍した核物理学者)らの資料を保存・公開しています。
大学史に関わる資料は、平成18(2006)年に設置された歴史資料館に引き継がれました。旧洋作法室を改装した展示室が、大学本館1階に設けられています。
1.保井コノ☆
2.黒田チカ☆
3.辻村みちよ
4.湯浅年子
5.阿武喜美子
6.関根慶子☆
7.松元文子☆
☆の研究者は下記Facebook関係記事もご参照ください。
・帰ってきたお茶大豆知識(Facebook)
・女性研究者名鑑