お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ

大学所蔵書蹟資料

番号:da1009

木戸孝允書状

同郷の吉富簡一に宛てた木戸孝允自筆書状。この年の2月に始まった西南戦争について、当時の経緯と木戸の感想を述べている。平成20(2008)年8月、本学卒業生の美祢弘子氏(書状を譲られた簡一の義兄忠輔の子孫)により本学に寄贈された。この書状の釈文は『木戸孝允文書七』(東京大学出版会2003年覆刻再刊)に掲載されている。


年月日:

明治10(1877)年3月17日

作者:

木戸孝允

作者説明:

木戸孝允(1833-1877)
幕末・明治維新の指導的政治家、萩藩士。天保4(1833)年、藩医和田昌景の長男として萩に誕生。8歳のとき桂家の養子となり、桂小五郎と称す。松下村塾で吉田松陰に兄事し、江戸に遊学。藩の公武合体策に反対し、尊王攘夷運動を指導する。元治元(1864)年、池田屋事件を逃れ、帰藩後に藩政の中枢を掌握、慶応2(1866)年、薩長同盟を結び倒幕を推進。この間に木戸と改姓。明治新政府では、政権中枢において五箇条の誓文の作成、版籍奉還の推進、廃藩置県の断行などに取り組み、明治4(1871)年には岩倉遣外使節団の全権副使として米欧を巡覧し、見聞を広める。帰国後は内治優先を主張して台湾出兵に反対、また立憲制の漸進的導入に尽力する。西郷隆盛・大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれる。


先頭へ 前へ 皇后陛下御歌「みがかずば」 中村正直書袱紗「松竹梅」 次へ 最後へ
閉じる