北大では、主に蚕の栄養についての研究を行いました。
大正11(1922)年、東京帝国大学に移り生化学の研究を続けますが、翌年の関東大震災で教室が炎上したため、理化学研究所に移ります。ここではビタミンB1の発見者として著名な農学博士である鈴木梅太郎に師事しました。また、三浦政太郎との共同研究では緑茶にビタミンCが含まれることを発見し、日本茶の北米輸出量拡大に貢献しました。辻村はさらに、緑茶に含まれている成分を解明しようと熱心に研究に取り組んでいきます。
昭和4(1929)年、辻村は世界で初めて、茶の渋味の成分であるカテキンを分離して取り出す事に成功します。続いて翌年、同じく渋味成分であるタンニンを結晶として取り出し、その化学構造の決定を行います。これらの成果をまとめた論文「緑茶の化学成分について」によって、昭和7年、東京帝国大学から農学博士の学位が与えられました。こうして日本初の女性農学博士が誕生したのです。
以後、さらに実績を重ねた辻村は、昭和24年にお茶の水女子大学の教授に就任し、初代家政学部長を務めました。教員としての辻村は、自身の研究のみではなく、後進の教育にも熱心に取り組みました。お茶大を定年退官した後も、実践女子大学で学生達の指導に注力しました。没後、彼女を慕う人々によって結成された「桂会」の手により建てられた記念の石碑が、辻村が晩年を過ごした豊橋の地に今も残っています。