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電子版貴重資料

所蔵図の紹介

高雄(台湾)

高雄(台湾)

参謀本部・陸地測量部が昭和3年(1928)に測図、同5年(1930)9月に発行。縮尺は5万分の1。黒色1色刷で「軍事秘密(戦地ニ限リ極秘)」の印刷がある。基隆湾の中等潮位を基準に標高を記している。台湾は日清戦争後の明治28年(1895)、下関条約によって日本へ割譲された。第二次世界大戦が終了(1945)するまでその統治下にあり、日本語教育や強制労働がおこなわれ、米や砂糖が日本へ運ばれた。この図幅にも「台湾製糖鉄道」や「台湾製糖後壁林工場」がみえる。



京城(朝鮮)

京城(朝鮮)

「京城」とは現在のソウルである。縮尺は5万分の1。大正7年(1918)測図、昭和12年(1937)第2回修正測図、昭和16年(1941)4月印刷・発行。著作権は朝鮮総督府が所有し、印刷と発行は日本の陸地測量部がおこなっている。黒色と水色の2色で刷られ、「(定価金拾八銭)」という印刷がある。明治9年(1876)の日朝修好条規締結後、日本は釜山・元山・仁川を開港し、日清戦争(1894~95)に勝利すると朝鮮半島に鉄道を敷設した。この図幅にも「京義本線」(京城-新義州)・「京釜本線」(京城-釜山)・「京元本線」(京城-本山)が見える。



上海(中国)

上海(中国)

1914年(中華民国3年)江蘇陸軍測量局測図の図を基に、1932年(昭和7年)2月に日本の陸地測量部参謀本部が製版・発行した。縮尺は2万5千分の1。黒色1色刷で「秘」の印刷がある。上海は1842年、南京条約により開港した。1843年にイギリスが上海の土地を租借すると、1848年にアメリカ、1849年にフランスも土地を租借し、外国人居留地としての租界が設けられた。1937年(昭和12年)の日中戦争後、日本軍は上海を占領したが、この図幅は占領に先立って作製されている。



兵要地誌図(東部ニューギニア(「フォン」半島及「マダン」地区)兵要地誌資料図 5号)

兵要地誌図(東部ニューギニア(「フォン」半島及「マダン」地区)兵要地誌資料図 4号)

参謀本部・陸地測量部が昭和17年(1942)に製図・発行、昭和18年(1943)に調製。元図はオーストラリアが1942年に作成した6色刷4マイル1インチ図(25万3440分の1)である。参謀本部・陸地測量部は4マイル1インチ図を縮尺25万分の1に引き伸ばし灰色・水色・薄緑色の3色で発行した後、赤色と青色で軍事的情報を追記した。そのため「秘」の文字が赤色で「極秘」に改められている。ニューギニアは太平洋戦争(1941~45)の激戦地であり、日本軍は兵を進めるため、この土地のあらゆる情報(地名や地形・地質・植生・人口など)を詳細に収集した。当時の景観と人々の暮らしぶりを明らかにできる歴史的資料である。



航空気象図 地上風(11月)

航空気象図 地上風(11月)

中央気象台が昭和19年(1944)6月に印刷。東西は東経70度~西経150度までの範囲、南北は北緯60度~南緯25度までの範囲を示している。茶色・黄色・青色・赤色の4色刷で「一部軍資秘」の印刷がある。航空気象図はひと月分が11枚組であり、表面に図情報を、裏面に解説を記している。第一図は地上風、第二図~第八図はそれぞれ海抜500m・1000m・2000m・3000m・4000m・5000m・6000mにおける風関連の情報をまとめ、第九図は霧日数・黄沙日数など視界を左右する現象、第十図は降水日数や平均雲量など天気に関係する情報、第十一図は雷雨日数や地表面の気温などの情報をまとめている。ここに示した図幅は11月の第一図である。青色で地上風・海上風・等圧線が示され、赤色で上層風・低気圧経路が示されている。作成に十分な時間が費やされなかったために、誤謬は次回に訂正する予定であると、注記されている。航空気象図は軍用資源秘密保護のため取り扱いが厳重で、保管状態が変わる場合は発行者に報告し、不要となった場合には発行者に返却しなければならなかった。

(掲載した地図のデジタル画像は、大判スキャナ(A0版)を使用して作成したものです)

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